紺色のひと」でだらだら書いたりしてます


■僕のためにある空間■

セミの声、というかセミの鳴いている空間が好きだ。
例えば今時期、僕の住んでいる地方ではエゾハルゼミがシャラシャラと鳴いていて、数が多いせいか「何匹も鳴いている」というよりは「セミを内包した空間が鳴っている」と言ったほうがしっくりくる。その空間は僕を中心に半球状に広がっていて、中心の僕に対して明確なベクトルを持って彼ら(というか空間)は鳴り渡り、僕が動いてもその性質は変わらない。
空間が鳴っている、のは確かなのだけれど、その中で発生している音ひとつひとつに意識を向けてみると、ジャリジャリ、だったりヒリヒリリ、だったりジーーだったりで、この時期は一種しか鳴いていないはずだと思ったけれど個性が強いのか、ともかく発生源に集中してしまうと空間の持つ湿度とか風の肌触りとかが薄れてしまう気がして興醒めするので、なるべくそういうことを考えないようにしている。

――というような、僕のためにある空間、という傲慢な感覚を僕はずっと抱いていて、それがセミからカエルになっても好きなこと自体は変わらない。
エゾハルゼミなら長袖シャツ一枚くらいの過ごしやすさと湿度、透き通るようでポプラが舞うような濁った空気だし、ヒグラシならむん、という暑さが始まる前の期待と終わった後の倦怠感だし(ヒグラシは夕暮れだけでなくて午前中の早い時間にも鳴く)、カジカガエルなら田植えの頃の「世界が芽吹き始める直前」とでも言うような高まりを持った夜で、それぞれ違った音に満たされた空間があって、僕はこれらどれもがたまらなく好きだ。

けれど僕のいる街にヒグラシはほとんど鳴かないし、カジカガエルも津軽海峡を越えては来ない。何度この言葉を繰り返しても足りないくらい、帰りたいと物足りなさを感じながら過ごしてるよ。

07.05.30.Tue