■分水嶺


曖昧な記憶の中にある風景を夢に見た。どこでこの景色を見たことがあるんだっけ。夢の中で考えて出した結論によるとどうやら夢の中であるらしい。子供の頃たまに見ていた夢の中の世界が、その夜僕の前に広がっていた。
天井の抜け穴から続く、もうひとつの世界。僕は誰かと旅をし、そして突如としてそこから蹴り落とされて目を覚ました。ご丁寧にスタッフロールと解説、おまけに攻略法までついたエンディングだった。ここであなたがこういう行動を取ったから、この夢の世界はバッドエンドです。最後にセーブした場所からロードしてやり直してください。ふざけるな、と僕は呟いてもう一度目を閉じ、ついさっきまで自分がいたはずの世界のことを思い出そうとした。しかし浮かんでくるのは抜け穴を抜けるときの暗闇と、目が覚める前の眩しい光だけだった。誰と一緒に歩いていたのか、それが男だったか女だったかさえ思い出すことができなかった。小さく舌打ちしたのを最後に、そのまま僕は浅い眠りに落ちた。
これが僕の見た可能性のひとつだとしたら、僕が生きている今はいったい何なのだろう。眠る前に友人とサイコロのような生き方、という話をしたせいだったのかもしれない。そう、有り体に言えば「生きていくうえでの全ての出来事が分岐点だ――」というあれ。

「結局のところさ、俺はわがままな人間なんだよ」
僕は眠っている彼女を起こさないように小声で話し始めた。僕の他に口を動かしている人は誰もいない。眠っているのがひとり、聞いているのがひとり。聞いているのか聞いていないのか分からないような格好をしているのがひとり。なかなか悪くない。
「例えば、あえてこうしてあり得なかったはずの未来の可能性について話すこと自体が裏切りに当たるかものしれない。そういう見方ができる以上はね。でも俺は今の自分の現状に満足してるし、幸せだとも思ってる。これは本当。でもそれとは別に、本当にただ興味から、今とは違う選択肢を選んでいた自分のことを想像したくなるんだ。分かるかい?」
それは想像じゃなくて妄想だろ、と顔を背けて笑う友人にそうだな、と真面目な顔で僕は返す。がんがんと内側から鳴り響く頭で言葉を続ける。こういう状況だからこそ、言っておきたいことは山ほどある。言葉にするのが難しいだけだ。
「もちろん、今の状態をひっくり返すつもりなんて毛頭ない。そんなことができるとも思わない。つまるところ、俺は考えてみたいだけなんだよ。もしあの時のあのあみだくじで別のところを選んでいたら、って。
――言葉どおりの意味だよ。あみだを引いたんだ。二年半前、大学入ったばっかりの頃にさ、授業選択の期間があったじゃない。あの時の受講生徒の振るい落としでね。俺と、俺と一緒にいた友達はその生物の授業を弾かれて、別の空いてるところに行った。……あとはご想像の通りさ。その授業が縁で彼女ができたんだ」
一気にここまでを吐き出し、ふうと一息つく。また始める。もう誰が聞いていて誰が聞いていないかなんて気にしていなかった。今はもう走り出した後なんだ。
「ありきたりな言い方で恐縮だけど、今この瞬間も選択肢が生まれて、それを選び続けながら生きてるって言い方、俺はあながち間違ってないと思うんだ。その都度サイコロを振って、それで行く道決めてるんだよ。逆にさ、もうどれだけか分からないくらいの可能性を潜り抜けてきた今なんだから、それはその時その時の最善だったはずな訳で。それなら幸せだと思っていいんじゃないかな」
いったん言葉を止めて、頭を振る。違う。そういうことじゃないんだよ。酔いが痛みに変わり、そしてさらに言葉に。最後に僕はこう呟いた。それがどんな裏切りと取られようとも。それは多分ひとつの真実であるはずだ。初めてこんな酔い方をした僕が、他でもない今こう思っているのなら。

「……いや、幸せだと思わなきゃやってられないのかもしれないね」
下弦に欠け始めた月は西の空に沈もうとしていた。日が短くなったとはいえ、この時期の6時はもう明るい。僕は窓の外をちらりと見、部屋の様子をちらりと眺めてから目を閉じた。これもひとつの可能性であるはずなんだ。


040904

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