■スローカーブ、スパイラル


ふとあるひとに連絡を取ってみたくなった。これは不精なたちの僕には珍しいことで、この行動にはきっと札幌に帰ってきたという事実がなによりもあるのだろう、そんなことを考えながらアドレス帳に検索をかけた。
ところがあろうことか、そのひとの連絡先は僕の携帯には登録されていなくて、僕は彼女の友人になんとメールを送ったものかと考え始めた。

『ハローハロー、元気ですか。僕のこと覚えていますか。嫌な記憶ばかりじゃないといいけど。』
僕は大学を卒業して札幌に戻ってきたこと、友人からアドレスを聞いたこと、そして、来週から忙しくなるって聞いてるし無理だろうな、と思いながら、今度ご飯でも食べに行きましょう、と打って送信ボタンを押した。
二日後に返信が来た。読みながら、僕はRPGのセリフみたいだ、とよく分からないことを考えていて、なんとか内容の脈絡のなさを信じ込むまいとした。ただ、彼女はたぶん嘘をつくようなひとではなくて、おまけにどこでなにをしていても不思議ではないようなひとだった。僕は彼女のことをよく知らないけれど、これだけは確かなことだ、と思う。
そのひとからのメールはこんな感じだった。
『久しぶり
おー 帰ったの 懐かしき札幌? あたし去年から福岡に住んでるよん
札幌行く予定は 今のとこないけど 行くときは連絡させていただきます♪
じゃ またねー』

現役でも一浪でも大学進学は当たり前、という高校にいた僕らの周りで、積極的に進学しなかったのはあのひとぐらいだったのではないだろうか。卒業してすぐに働き出した同期を僕は他に知らない。高校を卒業して4年が経ち、今も名ばかりは浪人生だというニートまがいのことをしているやつはいるけれど、彼女のそれはまったく違うものだった。
僕が大学に入って間もない頃、帰省の折に一度だけ彼女に会ったことがある。今はホテルで働いてるんだ、と言った彼女の背筋はぴんと伸びていて、だらしのない学生のままの僕はなんだか縮こまってしまった。しかし彼女はそんなことをまったく構いもせずに僕の先を歩き、バスターミナルの地下にある狭い定食屋に入ってカレーをふたつ頼んだ。隣には昼休みのサラリーマンが二組いて、ちらちらとこちらをうかがっているようだった。
食べ終わると僕らは水を一杯ずつ飲み、会計を済ませて(割り勘だった、と思う)すぐに別れた。別にそのあとの用事もなかったのだけれど、一緒にご飯でも、という話だったのだ。僕も彼女もすぱっと逆方向に向かって歩き出した。僕は振り返りもしなかった。
いや、そう言えばもう一度だけ、彼女と僕は会っている。確か大学二年の夏だったように思う。いわゆる同窓会というやつがあって、偶然帰省していた僕は同じように偶然顔を出した彼女に会ったのだ。取り立てて話もしなかったけれど、最後の地下鉄が出発してからだいぶ経ってから三次会が終わり、めいめいがタクシーや自転車で自分の家の方向に向かおうとしていたとき、方向が同じだから、と彼女は歩き出した僕に並んだ。前に会ったときに白石のほうに家がある、と聞いていたので、南に向かう僕と同じ方向なはずはなかった。どこか向かう先があるんだろうな、と僕は勝手に思うことにして、あまり口数の多くないおしゃべりを続けながら夜の中島公園に入った。この公園を通り抜けないと僕は家に帰れないし、なにより誰もいないところを歩くのは気持ちがいいのだ。
ちょうどボート乗り場にさしかかった頃、彼女は「今日は告白しようと思って来たんだ」と僕に向かって言った。なにやら訳が分からなくなっている僕を見て、そのひとはちょっと笑った。僕はとにかく次の言葉を待った。
「今好きなひととここで待ち合わせしてるの」
と続けた。夜中の四時前だった。何時に? と僕が聞くと、すぐに五時、という答えが返ってきた。朝の五時にボート乗り場で待ち合わせなんてあまりにも妙な感じがしたけれど、そんなひとのほうがきっと彼女には合っているのだろうな、と思った。僕らはその「彼女の今好きなひと」が来るまでベンチで腕を擦りながら話し、彼が現れたのを見て彼らに別れを言い、ひとり家の方向へと公園を走り出した。
記憶が正しければ、彼女の姿を見たのはそれが最後になる。それからしばらくして僕は携帯を水に落としてしまい、連絡先をなくしてしまったのだ。

さて、今更だけれど、僕と彼女の関係を話そう。たいした話ではないけれど。
僕は彼女に、とてつもなく嫌われていた。それはもう疑いようもない事実だった。僕は彼女のことを気に入って(当時の僕に言わせれば好きだったのではないそうだけれど)いて、声をかけたり名前を呼んだりしていたのだけれど、彼女はそれがとてもとても苦痛で、彼女の言葉を借りれば学校に行くのやめようかとも思った、くらいだそうだ。
僕は卒業式の日、一緒に写真撮ってください、とそのひとに言い、静かに断られて、頭をかきながら友人たちの輪に戻った。あのとき彼女はどんな顔をしていただろう。顔を伏せていたことだけは覚えているのだ。
数日後の夜、僕の家に電話がかかってきた。弟が電話を取り、なんとかさんって女子、と言って受話器を僕に渡した。女友達が多いわけではなかったから、たまにかけてくる友人だろうと思って代わった。そのひとだった。僕はとてもとても驚いて、しどろもどろになりながら応対した。彼女は今までとても迷惑で、すごく嫌な思いをしたけれど、最後にあんな態度を取ってしまってごめんなさい、と僕に謝った。それから彼女は、最初に君(僕のことだ)に声をかけたときのこと、教室で名前を呼ばれたこと、とにかく忘れられなくて、嫌だった、とはっきりと言った。そして最後に
「女の子と仲良くなりたいとこれから思うことがあったら、あたしにしたみたいに接するのはやめといたほうがいいと思うよ」
と言って電話を切った。僕はかばんからいつもメモをつけているノートを取り出し、今言われたことを整理しようと思ったけれど、そのすべてを書き切るのに二時間かかってしまった。とにかくそれくらい動揺していたのだ。あとになって女友達にそのことを話したら、
「あんたね、その子でよかったと思いなさいよ。他の子だったらあんたなんかとうに嫌われて、連絡取るどころじゃないわよ。
よかったじゃない。これからまた、いや初めてか、話せるようになったんだから」
と知ったふうなことを言った。なにを生意気に、とちょっと思ったけれど、実際それはそいつの言う通りだった。


あれから四年になる。僕は札幌を離れ、そしてまた帰ってきた。彼女は札幌を離れた。別になにを話したいというわけでもないし、会ってなにをしたいというわけでもない。伝えたい熱い思いも、守りそびれた約束もなにもない。
僕が送ったスーツ姿の僕の写真に、例の口調で『なーんか アヤシイひとみたい』と答えたあと、彼女は自分の写真を送ってきた。高校時代にいつもつけていたメガネも、頭の右斜め後ろできれいにまとめたひっつめもそこには写っていなくて、黒いストレートの女性が笑っていた。僕は本心から『すごくきれいになったね』と返信をした。
その返事はまだ来ていない。そのうち来るだろう、という妙に確信めいた感情が、僕の心に満ちていた。

060418

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